怪文書-スパダリ上司がちっさくなった話
ええと……どこから話せばいいんだろう、僕の上司……木梨さんの性格……いや、関係から?
その人が僕の彼氏だって話はしたっけ?……あ、まだ?……そんなに驚かないでよ。僕がゲイだって話は、君も知ってるじゃないか。
うん、そう、ずっと好きだった人だよ。僕とは真逆の性格で、背筋も真っ直ぐ伸びてて、自信家だけど嫌味っぽくなくて、仕事ができて、……惚気って訳じゃないよ……とってもかっこいい人なんだ。僕なんかには釣り合わないって、みんなわかってるくらい。
そんな人だったんだから、ある朝、出社した時、みんな驚いた。僕でさえも……
切長だった目は、くりくりとまん丸い、猫みたいなつり目になってて、いつも整髪料で固められたオールバックは、この日ばかりは下ろされていて、さらさらと風になびいていた。
肌の皺もひとつも無くなって、むきたてのゆで卵みたいにつるつるになってて。
……?うん、綺麗だったよ。いつもかしかしの黒髪が、きらきらしててさ。それに、頬も柔らかそうで。会社じゃなかったら、すぐ触ってた、くらい。……
……でも、一番びっくりしたのは、身長だった。そこは多分、みんな変わらないと思う。
だって、元々180くらいはあったんだもの。初め入ってきた時、みんなの視線の先に、木梨さんは居なかったんじゃないかな。
扉が勢いよく開かれた時、木梨さんは居なかった。代わりに、視界の下でひょこひょこ動くものがあった……
うん、そう。背が縮んでた……ってよりもむしろ、ちっこくなってたんだよ。
子供になった。って言えばわかるかな。……はは、信じられないのはわかるよ。僕だってそうだったし。でも、木梨さんの机に着いて、何事もない、みたいに仕事し始めるもんだから、みんなも次第に、気にしなくなっていた。
多分、だけど、みんなどこかのタイミングで、本当に木梨さんなんだって気付いたんじゃないかな。……え?僕?僕はね……ある事があったからかな。
あ、うん。恥ずかしいけど……いいよ。話すよ。……
木梨さんが小さくなって三日くらい経った頃かな。……うん、三日。だって、恋人だよ?それも、とっっってもかっこいい……うん、正直、信じたくなかったのもあるよ。だぼだぼのスーツを不慣れに着てる子供が……木梨さんだなんて。
流石にそんな体では、一人では帰せないから、僕が車で送ってたんだ。
あ……うん、へへ、実は日課なんだけど……木梨さんの家が近いから。
元々、木梨さんがエスコートしたりしてくれてたんだ。細かいことでも気がつく人だから……
ふふ、僕とは正反対だよね。うん、わかるよ。
……でもさ。この日は、そうも言ってられないじゃない?
僕が木梨さんのために何かする……なんて、したことなかったし、させてくれない人だったから……
あ、ごめん。私情が入っちゃって。
で……あ、そうそう。送り迎えの話。
いつもは仕事だとか、たあいない話だとかで盛り上がるんだけど。……正直、子供になった木梨さんとは、どうやって話せばいいのかわからなくて。
え?……あ、うん。もちろん聞いたよ。
「あの……木梨さん、もし、失礼じゃなかったら……一つだけ、聞いても……いいですか?」って。
そしたら……
「ん、ああ、いいよ。……まぁ、概ね察しはついているけどね。」
口調はいつもの木梨さんなんだ。けど、声は高いし、舌も回ってない。小学生くらいの男の子にしか見えないんだよ。……つい先日、会った時には、三十代のかっこいい大人だったのに。
「ですよね……その、多分、お察しの通りだと……思いますけど……」
「うん。」
「木梨さんは……どうしてそんな……あの、体?……に、なっちゃったんですか?」
「うん……。わからない。」
「わからない!?……って、そんな……」
「わからないのはわからないよ。朝起きたらこれだった。魔法でもかけられたのかね?」
そんなこと言いながら、けらけら笑ってた。
その姿に……少し、腹が立った。
どうして自分の体に、そこまで無頓着でいられるのか、考え出したら止まらなかった。僕には関係のないことだと、知りながら。
「っ、……、木、木梨、さん、は……!」
つい、語気が荒くなった。ハンドルを持つ手が、震えていたのを覚えてるよ。
でも、木梨さんは、きょとんとした顔で見つめてくるばかりだった。まんまるの目で、こちらを諭すように、じぃーっと。
それで、なんだか恥ずかしくなって、
「ぅあ、あの……なんというか……」
なんてさ、弱々しくなっちゃって。ふふ、恥ずかしいな……
「その体、で、困らないん……ですか?」
結局、聞けたのはそんな取り留めもないことだった。
でもね、でも……こっからだよ?ちゃんと聞いててね。
うん……、それでさ。それを聞いたタイミングで、丁度木梨さんの家に着いちゃったんだ。会社近くのマンションの駐車場で、最悪だ……って、その時は思った。
そしたら木梨さんが、呟き出した。
「そりゃあ……最初の日は、戸惑ったさ。
何が起こっているのか分からなかった。夢かと思った。けど覚める気配が一向になかったから、とりあえず出社した。
……そしたら、思ったより良いものだよ。」
「……へ?」
思ってもない答えに、間抜けな声を漏らしてしまった。
木梨さんはそれも気にせず、続ける。
「これまで、気づけなかったことに気づける。
視線が低くなっただけじゃない。何か、みんなが接し方を変えるから、人の見え方も変わってくる。
……特に、君はそうだ。」
瞬間、僕の頭は、木梨さんの方へ引っ張られた。
小さい手が、がっしりと頭側を掴んで離さない。
そのままの姿勢で、目を逸らさずに、木梨さんから言われたことは、絶対忘れないだろうと思う。
「君は業務中も、よく僕と目が合うだろう。
特に決まって、何かやらかした後は、だ。
どういうことかわかるかい?
君は、ずっと下を向いてるだろう。背は折り曲がって、書類を抱える手には力が入りすぎて、震えてる。
何か言いたげな顔は、不可思議に歪んだ表情だと、自覚してないだろう。
そのくせ、これまで一度も相談されたことがなかった。当たり前だな、君の性格だ、自分から話を持ちかけるなんて、できるわけがない。
悲しくなるな。自分が不甲斐ないよ。君をもっとよく見ていたら、早く気づけていたかもしれないのに。」
そう言って、僕に短いキスをした。
これまでやられた中で、一番温かいキスだった。
あまりに不意を突かれたから、長く、長く感じられてさ。それに、最中に目があったのも、これが初めてだった。
時間にしたら、1秒もなかったけど、それだけの行為に、どれほどの愛が籠っていたか!
不確かな格言とか、ネットで見つけた漫画とか、そんなあやふやなものとは比べ物にならないほど、確かなものを受け取った気がした。
あれを多分、愛とか、希望とかいうんだと思う。どれだけ落ち込んでも、どれだけ失敗しても、僕を大切にしてくれている人がいる、という、確固たる自信。
そんなものを受け取ったのは、これが初めてだったから。
僕が呆けていると、木梨さんはいたずらっぽく笑って「いつでもいいからな」とだけ言って、帰っていった。
その後ろ姿や、記憶や、唇に残るほんの少しの温もりで、僕は木梨さんがほんとうの木梨さんなんだと、その時初めて思えたんだ。
……え?うん、惚気だけどさ。こんな話も、誰かに聞かせたくなって。
……あ、ああ、僕の隣の子供?うん、この人が木梨さんだよ。
だから恥ずかしかったんだよ……僕の気持ちとか、全部聞かれちゃうからさ。
でも、本物を見ないと信じられないでしょ?だからさ、連れてきてみたんだ。
うん、うん。それじゃさ、少しだけ飲もっか。木梨さんも。……勿論、お酒はだめだけど。